看護師Hです。
夏富士です。
静岡の実家の庭先からこんなふうに見えます。
TVのご当地番組で「山梨だ!」「いや静岡だ!」と、どこからの眺めが一番美しいか物議を醸していましたが、私的には「みんな何言ってんの?御殿場に決まってんじゃん!」と言わせていただきます。
物心着く前からずっと「この方」に見守られてきました。
「この方」というほど私の中で神格化したのは、霊峰富士のキャッチコピーのせいではなく、おそらく郷愁の成せる技なのでしょう。
子供の頃は、あたりまえのようにそこにあるので拝んだことも感謝したこともありませんでした。
なので静岡県外の人から「静岡といえば富士山よね~」といわれると(ベタなことを言う人だ・・・)と内心すかしたことを考えたものですが、故郷を遠く離れた今、富士山のことを持ち出されようものならその薀蓄を熱く語りたくなるほどです。
実家のある御殿場市古沢という集落の「浅間(せんげん)神社」です。
噴火を繰り返した富士(火山ノ神)を鎮めるためだったとも、水脈を龍に見立ててその強すぎる「気」が江戸に及ばないようにするためだったとも・・・いろいろ言われてますが、静岡、山梨周辺にはたくさんの浅間神社がありますね。
これまたあたりまえの「近所のお宮さん」でクワガタやらなんやら取りに行ったのを覚えてますが、一度離れて再び訪れてみると、なにか本当に目に見えないなにかの霊力を感じる気がします。
私の父は2年前に亡くなりましたが、実家周辺では神式の葬儀を行う家もたくさんあって、生前の父の希望もあってこの「一幣氏浅間神社」様に奏上していただきました。
今では父は白木の霊璽(レイジ、仏式の位牌のようなもの)の名前の末尾に「~ノ命(ミコト)」が着く、いっぱしの神様になりました。
今年3月里帰りした時、復路の機上から捉えた霊峰富士の姿です。
遮る雲ひとつない、奇跡のショット!!
強烈な存在感を放つこの姿をたよりに「実家はあそこらへんだ~」といつも亀のように首を伸ばして飛行機の窓から眺めるのですが、今回は感情の処理がうまくできず、涙があふれて止まりませんでした。
御殿場の実家は最後の住人である母が埼玉の妹のところへ移ったのを機会に、取り壊されました。
自分のルーツを失った気がしました。
取り壊される前、最後に家の鍵を閉めたのは私です。
がらんどうになり、静まり返った家の中では、そこかしこに見えない小さななにかがいて、出ていこうとする私を不思議そうに見ているような・・・。
家を守るちいさなものたちが、神様であるかどうかわかりませんが、八百万(やおよろず)の神々が、いろんなものに宿るという神道のいわれを思い、心から「ありがとう」とつぶやいていました。
「浅間さん」でいただいた厄除けのお守りは、ずっと財布の中にいます。
財布の中身(¥o¥)はなかなか増えなくても、私自身は大きな事故にも病気にもみまわれずに過ごせています。
富士そのものか・・・富士の龍を封じ込めた霊力か・・・実家の床柱に宿っていた神か・・・あるいは神となった父か・・・。いろいろなものに守られているということに、ときどき「ありがとう」と言おうと思います。
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